1.「習字の友」創刊
昭和24年(1949)11月。月刊紙「習字の友」第1号(20円)が刊行されました。「手作り」「日曜返上」「手弁当」が、発刊以来の本会の精神であります。昭和25年から習字が正式教科として採択されたこともあってか、滋賀県版習字教科書を編集し出版され、県下でも多数の学校で採用されました。その後、教科書検定等が実施されたこともあり、中止されたことは、誠に惜しいことでありました。
記念すべき創刊号(習字の友)1949年11月
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昭和24年(1949)11月。月刊紙「習字の友」第1号(20円)が刊行されました。「手作り」「日曜返上」「手弁当」が、発刊以来の本会の精神であります。昭和25年から習字が正式教科として採択されたこともあってか、滋賀県版習字教科書を編集し出版され、県下でも多数の学校で採用されました。その後、教科書検定等が実施されたこともあり、中止されたことは、誠に惜しいことでありました。
記念すべき創刊号(習字の友)1949年11月
昭和28年(1953)5月、会名を滋賀県書道教育協会と改名。これを機に会誌名を「書の友」へ変更となりました。昭和24年(1953年)から県下全域に拡がりつつある競書雑誌「書の友」が誕生し、7月号から新しい誌名として再出発します。この頃の会誌は(15×21cm)の小版で紙質も悪く、保存が難しい物でありました。
昭和33年(1958)4月号から手本を見て書く「規定部」に対して、すきな語句を手本なしで自由に書いて出品できる「随意部」が設けられました。
昭和35年(1960)9月号から小学校1年~6年「書の友」と、中学・高校一般用「書の研究」の二分冊となりました。
昭和37年(1962)年4月号から「随意部」を「創作部」と改め、活字で課題を提示。硬筆の強化をはかり、新たな指針を示しました。
昭和39年(1964)4月より「書の友」「書の研究」を合冊とし再出発しました。書の友がスタートしてから満15年、会員の延人数は10数万となりました。全国書写書道教育研究大会を滋賀県で開催したのを機に「書の友」「書の研究」を分冊してから2年、「書教育」を小・中・高と一貫して考えることの重要性を痛感して、合冊とし、その名も「書」と改め、B5版として大きな紙面とする(50円)「書」は書写の書、書道の「書」、書芸術の「書」、みんなに親しまれる名称です。
書の友、書の研究を一本化し「書」として再発足してから1年、誌名「書」は専門的すぎて子どもたちに親しみにくい、書道芸術と混同するということで、古くて新しい誌名「書の友」がいいという声を考えて「書の友」の名称に再び戻すことになりました。
昭和55年(1980)4月。第1回滋賀書展を開催。すでに昭和53年に第1回青少年書展を開催しているので、今回の書展と併せて幼・小・中・高・一般と全ての階層を網羅した書道展を開くことのできる書道協会となりました。この際、年々会員数が増加し、高校・一般部の重視を要望されていたことで、高校・一般向けの専門紙として「書朋」の発刊に踏みきりました。「書朋」の内容も「鑑賞と書論」「創作」「古典研究」「硬筆」「書教育」等のぺ一ジが設定されました。
書朋創刊号
昭和56年度滋賀県文化奨励賞を当会が受賞。56年11月29日、県庁別館ホールで伝達式が挙行されました。本回の機関誌「書の友」「書朋」が大いなるあかしとなるものであります。いつの時代にも「和」と「奉仕の精神」を持って書に対する情熱を燃しつづけた業績を高く評価されたもので胸を張ってこの栄誉に答えなければなりません。
第1回書教育研究大会以来、「人間形成をめざす書教育」「子どもの書」をめざす議論が最高潮に達した頃、東京から小林龍峰先生が滋賀へ来て下さって、私たちの研究の仲間として、幅広い体験談や実践の様子を教えていただきました。
1992年(平成4年)4月、「見て書く気が起きる本、読んで交流のできる本」をめざし、すでに導入されていたコンピュータによる出品管理とあわせ、従来のB5版からA4版に拡大。内容の豊かさ、学年ごとの課題とめあての取扱い、活字の拡大、図版の拡大(硬筆、書朋半紙付録の参考作品は実物大)としました。その後、書朋に創作部2部制を導入、書の友表紙を優秀作品が飾るなどの充実を続けています。
令和4年度より、書朋を中学生以上対象とし、書の友は順次小学生以下に特化させることとしました。